お話30<幼少の傷>


 人に怒られた経験が深くに残っていると、基本的に人全般に対して警戒心が強くなります。
 大人にとっては些細な事でも、小さな子供にはとてつもない恐怖であり、大人になってからも常に人の顔色をうかがうようになったりしてしまう事もあります。生き辛さの一因です。
 
 私の友人の例をお話しましょう。
 彼女はとても仕事をこなす能力が高く、沢山の仕事を任されます。
 きちんと几帳面に、周りの動きも観察して大きな視野で仕事が出来るとも言えます。

 やれば出来てしまうので、益々仕事の量が増えていきます。
 彼女の中では、だんだん「どうして私だけ?」という不満が増えていきます。
 出来なければ、(出来ません。)と言えるかもしれませんね。でも、言わないと伝わらない事もあります。出来ない訳ではない場合、何とか頑張れば出来てしまう場合、(やりたくありません)とは言いにくい。
 出来ない、という自覚がないから辛いのです。
 それだけ有能な人物は、楽々こなしているようにも見えてしまうかもしれません。
 許容量が越えているのに、それをハッキリとは言えない場合、どんな理由があるでしょうか。

 人に、出来ない事を「出来ない」と単に言うことが出来ない。
 自分が出来ないと認める事が自己否定につながる気がして、無理しても引き受けてしまう。
 出来ない事を出来ないと認めることが出来ないので、本人が苦しいのは頼む相手が悪いと思う。

 大抵の場合、仕事の能率が悪くなることで、許容量に気がつくものです。
 許容量以上を抱える事が美徳になってしまうとどうなるでしょう。
 こういう人は、他の人が一定量以上をこなしていないと、とても批判的になります。
 どうしてあの人は出来ないのか、と思うことで、自分が出来ない事も認められなくなります。
 苦しいですね。人にも自分にも厳しいタイプです。

 私の友人は、大きな目で周りを観察できるタイプなので、実は人間関係を潤滑に動かす役目も任される訳です。
 ところが彼女の場合、どうしても「嫌われるのが怖い」ので、相手に意見を言えなくなります。
 彼女が直接話して注意しなければいけない事は分かっていても、それが出来ないのだと言います。

 私が「催眠療法」を依頼されたのは、元々は、恋愛について観たいという希望からでした。結婚に結びつくための問題があったら、取り除きたいなあ、というものでした。

 その人の持っている叡智(何でも知っている自分自身)は、文字通り叡智なので、本人の意思とは関係のない所へ導いていくことがあります。
 催眠療法をしたときに、結局は一番必要なものへ辿りつく場合が多いのです。

 彼女は初めてだったので、まずはリラックスを優先しました。
 それから、楽しい幼児時代を体験してもらおうと思いました。

 私の直感では、彼女は辿りつけない事はない気がしました。ブロックがあったとしても本人が催眠を懐疑的に見ている節がなかったからです。
 それでも、なかなかビジョンが見えないようです。
 なによりも言葉が出てこないのです。
 「感じてみて」「味わってみて」「見えるものを話してみて」
 という言葉に反応が鈍いのです。
 こういう場合は、自分の感覚を止めている事があります。
 
 そもそも催眠がかかりにくいのではなくて、表現をすることが苦手なのでしょう。
 私はゆっくり待ちました。
 「何もみえない。真っ暗。」
 という状態が続きました。
 それでも、とても深い催眠状態にいるので、安心してね、と伝えて行きました。

 そのうち、
 「どうして見えないんだろう。」
 と感情を伝えてきたので、
 「大丈夫。でも、何で見えないんだと思う?」
 と聞くと、しばらく考えてから
 「私が、邪魔しているの…でも、何で?」

 少し焦っているようなので、落ち着きを取り戻す為に、深呼吸を繰り返しました。
 楽しい幼少時代へ行く事が出来ないのは、楽しい事がなかったからではないようです。
 本人が慣れていない部分は私が少しづつ誘導するのですが、邪魔をする何かがあるのですから、彼女の邪魔をしている「サブパーソナリティー(副人格)」を呼んで見ることにしました。
 すると真っ暗だった場面から、ようやく場面が見え始めましたが、居場所は分かったものの、邪魔をしているサブパーソナリティーが姿を見せてくれないようです。

 彼女の表現を見ていると、普段のしゃべりとは違って、かなり話づらそうなのです。見えないこともそうですが、感じたり表現すること自体に滞りがみえました。
 言葉が話し辛くなったのは、やはり何か原因があるはずです。
 その時代に戻ってもらう事にしました。今度は焦点をしぼって、幼い彼女の呼び名で話しかけてみました。
 すると、ようやく彼女の幼少期に辿りついたようです。

 「幼稚園。
 絵を描いている。女の子の絵をね。楽しいよ。」
 楽しい場面かな、と思っていると
 「先生が怒るの。」
 と話し出しました。
 『そう。先生が怒るんだ。何かあったのかな?』と私が聞くと
 「わかんない。」
 と言ったきり、硬い表情をしています。
 『わかんないのに、怒られちゃったの?』
 「うん。」
 『先生がどうして怒っているのか分からないの。それは辛いね。
 Hちゃんはどんな気持ちなの?』
 そう聞くと、何も言わずに涙を流し始めました。
 言葉にするのが上手くいかないのは、幼児だったり感情を殺している場合があります。
 原因が出来る少し前に導いたので、話す事が出来たのかもしれません。
 
 『何で先生はそんなに怒るのかしらね。Hちゃんだけに怒るの?』と聞くと、
 「私が悪い子だから。先生が怒るの。」
 と言って涙が流れます。

 子供は、否定されると、全面的に信じてしまう事があります。
 彼女は、怖い先生に対して硬直してしまい、自分を自由に表現したりすることも出来なくなったインナーチャイルドに出会いました。

 インナーチャイルドに、癒しの言葉をかけると同時に、彼女自身からHちゃんにどうして欲しいか聞いてもらいました。Hちゃんは、「抱きしめて欲しい」と言いながら、また涙をこぼしました。
 普段彼女は人に甘える事も苦手だったのです。素直に出てきた言葉がすべてを物語っているようでした。
 小さい頃、抱きしめて欲しかったんだね。
 彼女は抱っこして、その子と約束をして融合することが出来ました。

 これから、彼女の生活にも変化が現れていくかもしれません。
 催眠療法は受ける側の慣れもある程度必要なので、彼女も何度か体験すると、ますます深いところに辿りつくかもしれませんし、それは必要になったときでいいのだと思います。
 
 覚めてから、彼女は幼稚園時代の怖い先生は、今でも恐ろしく感じるけどインナーチャイルドを作っていたとは思いもしなかったと話していました。
 怖いことがあっても両親に話したことはなかったそうです。いい子で居なきゃという思いも強く、親にも余裕がなかったのかもしれません。
 覚えている過去であっても、認めなければ癒されないのでしょう。
 彼女は絶対的に良くなりたい気持ちもあって、この先も自分の努力は続けていくはずです。
 自分のペースで、安らぎを覚えながら、生き辛さを手放していきましょう。

 自分を責めすぎる癖がある人は、私は私でいいんだ、って話しかけてあげてくださいね。
 反省の心は大切ですが、次に進む時が来たら手放していきましょうね。
                    by Yumiko 8th Jul. 2004
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お話29<アニマルエッセンスpart.1>

 アニマルモニターという未知の企画へのたくさんのご参加に感謝しています。
 今回は、軽いご報告です。
 今の時点で、お送りしたアニマルに対する感じたことやエピソードを伝えて頂きました。

 集計結果などは、折を見てご報告いたします。
 基本的に2匹、アニマルエッセンスから選びました。
 そういう風に焦点を宛てると浮かび上がるのですが、必ず何度かそのイメージを消して再び浮かび上がってくるものをお知らせいたしました。

 思ったとおり!とおっしゃる方も多かったものの、「意外」という言葉を使われる方も多くいらっしゃいました。
 意外性を狙っている訳ではないのですが、それで良いのです私的には。
 かわいい動物のほうが良かったのに…と正直におっしゃる方もいて、楽しくなりました。

 私は、殆どの方の顔を知りません。
 だから、雰囲気が似ているという意味で選んでいるわけではないのですが…結構ショック受けた方もいらっしゃったのかな(笑)?
 たまたま(?)かわいらしい動物だった場合は、喜んでいる方もいて…本当に皆さんの反応が面白かったのです。
 もう一度言いますが、似ているから選んだという事では決してありませんから…。

 似ているとしたら、後ろに守護としてついてくれているのかも知れませんけれど。
 さて、モニター参加して下さった皆様、意味をUPしましたので、再び感じたことをご連絡くださいませ。
 6月8日までの返信の方がモニタープレゼントの対象となります。
 プレゼントは、様々な影響から身を守るアニマルエッセンス「プロテクション」です。
 詳しくは、アニマルエッセンスコーナーをご覧下さい。
 
 参加されていなくても、自分と動物の事に想い巡らせながら、遊んでみてくださいね。
                    by Yumiko 2th june. 2004
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お話28<時間の概念>

 今回は今を生きる、ということ。
 皆さん、今を生きていらっしゃいますか?

 辛い辛い現実からは逃げたいですね。
 もう、私なんてこの世に存在しない方がいいんじゃないかって思ったことはあるでしょうか?
 
 なぜ、辛いことが存在するのでしょう。
 なぜ、こんなに苦しまなければいけないのでしょう。地球に生まれてきて。
 何とも地球は宇宙の中でも特別な場所のようですね。
 
 時間とは、あってないがごとく、なんとも頼りないものです。
 時計の時間が刻まれているお陰でかろうじて時間を感じることも出来ます。
 時間が流れるから、お腹も空くし、成長もする。
 この地球だけが一方通行の時間の流れを体験しているのだそうです。

 この概念があるからこそ、体験できることもあります。
 では、時間がない、ということはどういうことなのでしょうか?

 私は小学生の頃、カールセーガンさんの「Cosmos」という本から造られた番組を見て、とても深く時間に興味を持ちました。この考え方は物理学か何かで話せば簡単だそうなのですが、未だに説明できません、私は。
 
 私の手に、一つのボールがあると思ってください。
 そのボールを落とします。
 そのボールはまず、地面までの半分の位置に到着します。
 するとその半分の位置から地面までの半分の位置に到着しますね。
 あと4分の1。
 でも、その前に永遠に半分の位置は続いているはずなのに…なぜ地面に着くの?

 それと、次元のお話です。
 私たちは3次元に生活しています。
 1次元とは、点が集まって線になった世界。
 2次元とは、線が集まって面になった世界。
 3次元とは、面が集まって立体になった世界。
 
 ですね。いいですか?

 では、4次元はというと、面が集まって…何になるの?
 概念的には時間がプラスされるんだそうです。「時間」

 今、私が思うのは、パラレルワールドと言われている世界に関係があるのかもと感じます。
 パラレルワールドとは、
 同じ「時」にたくさんの色々な世界がある、という考え方。 
 だから、これを使って過去世やら来世が感じられると言う人もいます。
 今は私だけれど、もしかすると、もっと違うことをやっている自分が別の所にいるかもしれない。

 別の考えをすれば、時間は概念なので、すべてが今にあるということ。
 時間を創りだしたのは私たちに他ならないとすると、時間がない世界があるっていうことですね。

 今に生きるとは、幻想の世界に生きないということ。
 幻想は、幻想であって、肉体で感じる世界ではないですから。
 今に生きることは、過去を体験することでもあり、未来を手に入れることでもある。
 すべてが今にあるから。
 ある方が、セッションの感想に「今に生きるとは刹那的で…。」と書かれていました。
 刹那の連続が時間です。
 だからその刹那を大切にすることが、過去も未来も大切にすることではないでしょうか。
 今が良ければいい、という考えに悪い印象がある方もいらっしゃるのかもしれません。
 今を大事にすれば、そんな事はないとすぐに理解出きる事でしょう。

 今だけ良ければ、後はどうでもいい?
 ほんとうにそう思っているの?
 だって、後がどうでもいいならば、ここにいないと思いますよ、もう既に。

 今を良くするということは、すべてを良くするという事。
 だから、今を生きましょう。地に足をつけて。
 悲しんでいるとき、結構生きているって実感できたりするものです。
 辛さを今取り除きたいのであれば、今に生きましょう。
 天使たちの助けは借りてもいいんですからね。
                   by Yumiko 25th May. 2004
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お話27<天使のメール>

 
 ある方からメールをいただきとってもいい参考になる事例だと思いましたので、少しアレンジして書かせて頂きます。

 「天使にお願いをしても願いが叶わない。
 ある時本を参考にメッセージを貰ったが、お願いした事と全く関係の無い事だった。そして天使と決別したのだが、やっぱり上手く行かないので、天使と和解を申し入れたが…。」

 そして、天使がいるのかどうか疑わしい思いと、私が(天使の言う事が絶対正しいと思ってはいけない)といっている事に安心感を覚えた、というような内容でした。

  私が天使の言う事が絶対だと思うのは怖い事だと言っているのは、「他力本願」になってしまう事とか、もしかしたらエゴが言っている事かもしれないよ、という可能性を常に自分に問い掛けて欲しいからなんです。

 天使は、悪意を持ちません。
 でも、助けない事もあるのですね。
 自分の力を信じて欲しいからなんですけれど、天使に頼めば何でも叶うと考えてしまって…そのうち天使がいなければ自分で決定も出来なくなったらどうしましょう。

 天使は何でもしてくれる訳ではありません。助けてくれるだけです。

 だけど、自分が思うように進まないと天使がやってくれない?頼んでいるのに上手くいかない?

 問題がどこかにあるのに見ていないのかもしれませんね。
 自分の内面を省みず、上手くいかないのがおかしいと焦ってばかりいても、気づくまで進まない事はあります。
 皆さんはどう思われますか?

 私は天使を否定しているのではありません(おわかりですよね)。決定権は常に人間が持っていると言いたいのです。
 天使が提示したとしても、やるやらないは私たちが決める事。

 主導権を天使に渡しては危険だと思いませんか?一種の宗教のように、洗脳に近くなったり地に足がつかなくて現実を見なくなったり。
 天使に頼んでも上手く行かないとしたら、何でなんでしょう?

 私だったら別の観点で考えようとするかなあ。

 例えば仕事が決まらないなら、お金はどこからやってくるのだろう?と言う部分から考える。仕事を本気でやりたいのか。生活が大変だから仕事をするのか。
 好きな仕事をしたいならば、選び方が違うのかもしれない。チャンスは向こうからやってくる時もあれば、自分で掴む事もあるでしょう。

 それは必死さの違いかもしれません。
 もし、お金がなくなって生活出来なくなったらどうしよう。もしそうなるなら、どうするだろう?
 今の選び方でいいのだろうか?

 仕事が決まらない事が、天使のせいでしょうか?
 決まらない場合は決まらない事がいい事なのかもしれない。そんな訳ない!という考え方を変えたほうがいいのかもしれない。

 本人が持っている観念は本当に様々です。
 だから、色眼鏡を取る為に、天使は色々してくれます。

 それが人間にとって苦しいかもしれない事でも。そのやり方が気に入らないならば、そこから天使と話し合ってみてはどうでしょうね?
 この場合も責めるだけではなく、自分を省みながらでないと意味がありません。
 地に足をつけて歩くことは、自分の問題点を表面化することもあります。だから逃げたくなることもあります。

 天使と上手く付き合っていくのは、自分を信頼していく勉強です。自分を信頼できないのであれば、天使に信頼できる自分になりたいと伝えてみるのもいいでしょう。
 そこで天使との交流が上手くいかないとしたら、いったん、天使からは離れた方がいいのかもしれませんね?
 天使は傍を離れたりしませんけれどもね。

 私の返信に対してまたお返事が届きました。
 「私は信じる順番を間違っていたのかもしれません。
 天使より先に自分を信じることなんですよね。」
 しっかり学ばれていらっしゃる。

  ほ。これは天使が差し向けてくれたメールでもあるのかな。またやられちゃったね。
 みんなの学びの為に。私の学びの為に。どうもありがとう。
        by Yumiko 15th May 2004

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お話26<Wesak祭>


 Wesak祭について、メモは取ってきたのですが基本的に余り私は詳しくないのです。
 でも情報として受け取った事を書いておきますね。

 実は私は「ウエサク祭」は「植作祭」だと思っていました。
 収穫を願う祭りなのだと思ったのと、鞍馬山に関わると聞いたので、日本古来のお祭りだと思っていました。
 レイキのように、「Wesak」と海外では書いているのかなあーなんて御気楽に思っていました。

 お話を伺ってみると、何と、1800万年前に遡る、マスター達の祭典だと言うことでした。
 本来の意味は、『東洋と西洋を繋げる』ことだそうです。

 日本は神話の国、神の国です。そういう事も関係しているのだと思います。

 このお祭りに一番関わっているのはサナトクマラ。けれども仏陀が天界と地球との縁を繋いだそうです。
 仏陀が地球に降り立たなければ、光のヒエラルキーの世界も(ホワイトブラザーフッド)、サナトクマラ率いるシャンバラ界も地球に蔓延した闇に囚われた人類を見放す予定だったそうです。
 余りにも神からかけ離れた地球上の生命体を見切る予定だったのです。

 そこで、仏陀が地上におりました。
 そこで種を撒き、キリストの生誕へと繋がっていったのです。

 もともと、ホワイトブラザーフッドの集団とシャンバラの集団とは、全く別々の役割があったために交流がなかったのですが、地球復興計画の元協力し合うことになったそうです。
 私も詳しい事は分かりませんけれど。

 人間界のボスがSt.ジャーメインだそうです。(キリストはホワイトブラザーフッド)
 私、まだ精神世界を深める前にオーラソーマでSt.ジャーメインのボトルを選び、「霊的世界の探求がテーマですね。」と言われたのを思い出しました。紫色。第7チャクラ霊性の色ですね。
 その紫色の炎を使うと邪気を燃やす事が出来ます。
 イメージの中でドンドン自分を浄化してみてくださいね。

 Wesak祭では、ヒマラヤの谷のある場所に祭りの祭壇が出来るそうです。
 山の石の上にクリスタルのボールがあって、聖水の上に仏陀意識が降ります。
 その前側にマスターや光の存在たちチベットの僧たち。
 向こう側に地上の死んだ者の魂が集まる。
 
 ここで興味深かったのは、真中にキリスト、左側にSt.ジャーメイン、右側にマヌーというシャンバラの代表が並び、その下の沢山の存在と祭りの中で幾何学模様を作り出していくという話です。
 幾何学模様とは色々な意味があるかと思いますが、深遠ですよね。

 私、小さい頃熱を出してうなされると、いつも決まって幾何学模様の夢を見ました。
 クリスタルも幾何学模様と縁が深いですし、少し前にもファーストフード店でキラキラチラチラの幾何学模様がしばらく目の前から消えずおかしくなったのかと焦った経験を思い出しました。
 もっと、色々分かってくる事もあるでしょう。
 
 とにかく人が肉体を持って、地上に楽園を天国を作るためにあるお祭りなのです。
 集まった人たちがそれぞれの場所で、光を広げるお手伝いに関わっていたのでしょうね。

 知りたい方は、他のHPに色々載っているそうですよ。私は聞いてきたお話をUPしただけなので、英語が得意な方は探してみられてもいいかもしれません。
 みんなで、光の楽園をつくる。それが完成した時がお祭りが必要なくなる時。
 それまで、光を広げて行きましょう。
 それぞれの場所でそれぞれの方法で。みーんな光の存在なのですもの。
          by Yumiko 10th May. 2004
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お話25<親子関係>

 
 (感受性が豊かだ)と言われることが小さい頃からよくありました。
 親が人に私を説明する時に度々使った言葉でした。
  「感受性」
 母親は私のことを気が強いと言い、思ったことを直ぐに口に出す、と言って怒られる事もありました。
 私が3歳の頃、両親が従業員の悪口らしき事を言っていた時
 「どうして、人の悪口ばっかり言ってるの!」
 と言って私が怒ったそうです。それから、母親は言うのを止めようと思ったと以前話してくれました。3歳だとすると、我ながらすごいですね…色んな意味で。
 私は人の想いに敏感だったと思います。
 だから、母親であっても言っている言葉が嘘だと分かってしまうので言わずに居られませんでした。
 失望をしても心の底では母を求めていたので、複雑極まりない感情が生まれていました。

 父親は私が気が強い事を強調して「婦人警官になれ。」とよく言いました。
 何と安易な…。

 お陰様でその期待に応えようとすることは全くありませんでしたが、常に私はそのままの自分でいる事がいけない事なのだろうかと悩んでいたのでしょう。
 余りに日常のことなので、悩んでいる事にも大人になるまで全く気づいていませんでした。
 ありのままの自分を表現出来ないとは、自分で居てはいけないという呪文に近いですね。

 私は、家の中で自分を丸ごと認めてもらっている感覚が無かった為に人のエネルギーを読みながら萎縮していたかもしれません。自分の居場所はそれでも我が家だと思いたかったので。
 親しい友人と居る時が、実は一番私らしかったのです。それは大人になってからも気の合う仲間と出会う事が出来たので自分を保てたのかもしれません。
 兄弟が多く、母親の関心は常に分散しています。その取り合いもあったはずですね。
 私は良い子でいようとしました。
 それなりに甘えてもいたと思います。心の底からではないにしても。

 そして当時私の役目は、母親の愚痴の聞き役になりました。
 父に対して、仕事に対して、聞いてあげる事で代わりに自分に関心を欲しかったのでしょう。
 間違った事に対して意見はするものの、この関係では母親の心に私の言葉は染み込んで行きません。
 私が母親の吐き出し口でなければ意味がなかったし、私は自分を防御する方法など知る由も無かったのですから。

 親は酷い事をしている等とは少しも思っていなかったはずです。
 きっとただの親子の会話だと感じていたのでしょう。
 
 大人になって生き辛さを感じた時、その事実に気づきました。
 そして、それまでの母親に対しての感情が爆発しました。
 沢山の怒りで一杯になり、母親の顔を見るのも嫌になり態度にも出していました。

 心の底には、大きな哀しみがありました。
 私はこの人に、母親に受け入れてもらったことは無かったのだと感じたからです。
 心に嵐が吹き荒れました。
 実は、この時、怒りを放出させるオーシャンレメディーを服用した事もあり、相乗効果だったかもしれません。
 レメディーは穏やかなものをお奨めします。(−−)ゞ
  そのお陰で、急速に必要な癒しを体験する事も出来ましたけれど。

 しばらく冷戦状態で過ごした母親も、私を見ると硬い表情をして珍しく態度に現し始めました。
 その時、これは伝えなければダメだ、と思ったのです。
 料理を作っている横に行き、話し出しました。勇気を振り絞って。
 「私、小さい頃、お母さんが忙しくて仕事ばかりしていたから、寂しくて仕方なかったんだよ。
 カウンセリングって言うのを勉強して、すごくそれが分かってさあ。」

 すると、母親は急に表情が変わり、
 「ああ、そうだね。」
 と言いました。
 私はびっくりしました。そんなに素直なの?
 すると母親が続けて
 「実はね、あなたの弟にも言われたのよ。
 忙しくしていたのが嫌で仕方無かったって。20才過ぎてからだけどね。
 だけど、本当に忙しかったんだから。(それはもう何度も聞いているよ、耳に蛸。)
 だから他の事に気を回す余裕なんてなかったんだよ。」

 今まで幾度となく聞かされた言い訳の言葉。
 でも、その時は、申し訳ないという気持ちが読めました。
 だから、もういいかなって思うことも出来ました。
 
 この出来事が、私が親との葛藤を乗り越える最終段階だった気がします。
 その後何も問題が無いわけではありませんが、自分の芯が揺らがない為に必要な出来事だったのです。

 皆さんが苦しいのは、初めに作られた親との人間関係がベースになっている場合が多くあります。

 私の場合は、実家で暮らしていたので、対面切って事件がありましたが、本当は自分が気づくだけでもかなり楽になります。
 本人を目の前にしても、逆に受け入れて貰えないことも多いのです。
 親は子供に弱みを見せたくないものだから。

 だから、今までは見たくなかった親子関係を癒す時期が来たと思ったら、気づきを与えていくことです。
 方法は沢山ありますが、一番良い方法に導いてもらえるよう、あなたの天使さんにお願いして下さいね。
 フォーカスする内容が「自分の癒し」であれば、そのチャンスはきっと訪れます。
          by Yumiko 3th. May 2004
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お話24<自分を愛する>


 自分を愛する事について。
 たくさんの方のエネルギーを読んでいて思うことがあります。
 もちろん問題を抱えた上で相談をするので、偏っているかもしれないのを承知の上で。

 自分の愛し方が分からない人が多い。
 自分を嫌っているの?

 どうしてなんでしょうか。
 天使たちが一番愁いていることなんです。
 ああ、今もその感情で一杯になってしまいました。

 本当の愛の形が分からない。
 体験した事がない。
 目の前で見た事がない。
 そのエネルギー自体を自分とはかけ離れたものだと思い込んでいる。
 嫌われる前に嫌ってしまった方が楽?
 誰に嫌われるんでしょう?
 自分で自分を嫌っていて。

 本当は誰もが愛の存在だと言葉で幾ら言っても、心には届かないのです。
 そこに「防御壁」があるから。

 以前ドラマの話をしましたね。
 自分で自分のパターンから抜けられなくなる事。
 だから苦しいのです。
 
 人生がどうでもよくなってしまうような時、誰も自分の事を分かってくれないんだと投げやりになる時、あなたの周りの存在が同じように動けなくなってしまいます。
 どうでもよくなっている時は、すべての選択を放棄しているから。
 天使たちは何も出来ない状態です。傍にいても感じられないでしょう。

 だから、辛くても死んでしまいたくなっても、最後にでもいいから、少しの希望を見つけてください。
 苦しい中で最後の最後の選択であれば、そこの光のかけらに話し掛けられませんか?
 「バカヤロー!何で助けてくれないんだよ。」
 「どうせ、あんた達にも何も出来ないんでしょ?」
 挑戦的でもいいです。
 すべてを諦める前に、腹立ちの感情をぶつけてみたらどうでしょう?

 私も、自分が嫌いでした。
 でも今だから言えますが、本当に本当にそこに愛がなかったら、少しのかけらの愛もなかったら、存在自体していない。存在している意味がないと思うとき、意味を探していないだけなのだと気づけます。

 自分を嫌うこと。
 それは自分を慰めていること。

 何とか生きるために、存在の理由を探していること。
 嫌いだと考えていると、嫌いでいることが辛くなる。
 本当は好きだから。
 自分を嫌いだなんて、よく考えるとおかしい。
 嫌いで居続けている事が自分を保つ為なんだから。
 本当に自分が嫌いだと感じている人は、その日自分が何かにしてあげた事に気づくと驚きますよ。
 あなたが着ている服、あなたが吸っている空気、あなたが水をあげた植物、目に映った景色、テレビの中の人。
 すべて、あなたの為に存在しているのです。
 あなたが、そこにいるだけで、こんなに沢山の現実が存在している。
  しがみついている現実は手離しても、変化を受け入れればいいのです。
 勇気が出ないのは、その現実を愛しているからですか?
 それならば、あなたはやっぱり自分を愛しているのですね。
  過去のパターンの眼鏡で見ているだけです。
  無理はしなくていいんです。

 自分を嫌いですか?
 好きですか?
 どちらもきっと同じ事です。
 自分を愛する方法を見つけてみましょう。
         by Yumiko 28th Apr. 2004
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お話23<カルマ>


 カルマとは何でしょう?
 簡単に言えば、自分がしてしまった事を再びやり直すべき負債のようなものでしょうか。
 場合によっては、犯した罪を償う対象の行為とも言えますか。

 カルマを背負っている、という言い方を耳にします。
 ですが、私がメッセージとして受ける時カルマというものは存在しないと言われます。
 カルマに対して、殆どの人が罪の意識が強いので、ある意味罪悪感が必要ないという事だとも感じます。
 罪悪感は何も産み出しません。罪悪感を感じるくらいなら反省して前に進んだ方がいいのです。
 そこに留まってしまうから、罪が益々大きく感じられるのかもしれません。

 もちろん犯罪を犯した場合は罪を償うのは当然です。
 けれども、この世でない所には善も悪もないのではないでしょうか。
 価値観の判断基準は人間が作っているのですから。
 してはいけないことは本人の中で理解すべき事。現世の中では、誰かが諭さなければなりません。
 だから警察があって裁判官がいて法律があって。

 神のカルマの法則というものがあるのだそうです。
 その第一の法則は
 『いかなるときも、いかなる場合においても、人はその意志を他者に強いるべからず。』
 すべての選択は個人個人の意志に尊重されるべきだということでしょうか。

 『類は友を呼ぶ』
 恐怖を感じている時、自分が引き寄せているのだという事。
 そして、恐怖の対象に目を向けなければ、そのもの自体はあなたの横を通り過ぎていくのだということ。

 カルマとは決して罪悪感を感じる為のものではないのだと想います。
 罪悪感を手放しましょう。フラワーレメディーなら、「パイン」です。
 優しい人ほど、自分を傷つけて気づかないふりをしてしまいます。カルマはそういうものではないのです。
          by Yumiko 22th Apr. 2004
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お話22<冷え性>

 
「冷え性」という言葉を知らない方はまずいらっしゃらないでしょう。
 そして多くの方が多分自分もそうだ、と思われているのではないでしょうか?
 
 これでも私は小さい頃は下町に住んでいた事もあり、毎日のように外を駈けずり廻っていました。そういう場所もあったし今よりも安全であったし、子供も多かったですからね。
 いじめっ子もいたような、ジャイアンみたいな大将もいたような。
 でも現代社会、慢性運動不足と言われています。特に子供達はどうですか?
 スナック菓子を食べ、清涼飲料水をがぶ飲みし…肥満・糖尿病が子供達にまで増えているそうです。

 割と健康体だった私。会社に入っても冷房病は特別な人がなるものなんだ、と思っていました。
 職場には来客が毎日あるので冷房はガンガンかかっていました。
 当時30半ばだった先輩が、
 「Yumikoちゃん、ちゃんと重ね着してる?パンツ一枚じゃだめだよ。
 婆シャツなんて隠れて見えないんだから、冷やしちゃだめだよ。
 もう!どうせおばさんの言ってる事だと思ってんでしょ。」

 だって、20才そこそこの私には全く悲壮感もなく、冷えなんて関係ないと思っていたんですもの。今やあの先輩と同年代、今度は私が伝えるのよ、おばさんでもいい。
 今になってみれば、あの言葉も天使のささやきだったのに違いないのです。気づかない私がおばか。
 
 冷えは、徐々に徐々に体を蝕みます。
 痛くも痒くもない(しもやけは痛痒いけど)し、日々の快適を優先してしまう私たちは冷えに鈍くなっているそうです。
 私の症状としては、冬は足が氷のように冷たく、夏は足の裏が逆にほってってたまらないという感じでしょうか。
 20代からその自覚はありましたが、当たり前のようになっていました。
 お風呂に入った時だけはいい状態なんですけどね。

 そして最近、冷えがすべての病をつくっているらしいと分かってきました。
 もともと、東洋医学では言われてきた事なのでしょう。
 
 とにかく、冷えを取らなければ。
 アトピーも喘息も自律神経失調症も不妊症も、みんな冷えが起因している場合があるのだそうです。
 ガンも言わずもがな。血流の停滞が病を招く。
 
 それには、足湯と腰湯が最適だとか。
 普通のお風呂以外に時間を取るのがおっくうだった私ですが、これだけ腰痛が長引くと何とかしなくてはという思いもあり、冷えがなくなると頭の回転もよくなって、しまいに鬱にも効果ありって言うほど優れものだと知ってから、これは皆に知らせようと思ったのです。
 でもまず自分がやってみないとね。
 ってことで、しばらく続けてみました。
 この面倒くさがりの私が!

 腰湯(半身浴)は
   胸から下をぬるめのお湯(40℃以下)につけ20〜30分。
   湯船の中なら浴イスを水の中に沈めて座り、少し寒い場合は上半身には衣服か乾いたタオルで防寒するといいです。そのまま本でも読んでいればあっという間です。
  その後、水分補給と下半身を冷やさないように靴下で守ってあげること。

 足湯は
   ふくらはぎの途中くらいまではお湯に入り(くるぶしよりも上になるように)41℃前後の少し腰湯よりは高めの温度にして冷めたらお湯を足しながら、体が汗ばむまで続けます。
  病後などは時間は短めの方がいいそうです。一日に何度やってもO.K.

 ついつい面倒だから、冷えになんて構っていられないと思っていました。
 でも以前通った針の先生が口をすっぱくしておっしゃっていた冷えへの警告。
 現代病とも言えるすべての病気の起因だといいます。

 体がほてっている場合冷えと考えない事が多いですが、逆に冷えが極まってほてるそうです。
 私の夏の足裏のほてりはそれだったと思います。
 太っていると汗っかきの暑がりで冷えとは無縁と思われがちですが、新陳代謝が悪いので冷えの可能性が大だそうです。

 今、精神的にも肉体的にも何かしっくりこなくてどうしていいか分からないとしたら、冷え取りからやってみてはどうですか?簡単で気持ちがいい。脳内の働きも回復すると生きる気力が沸いてきます。
 暖めるだけです。
 でもできれば根気よく続けてみましょう。

 特にお湯にアロマを数的たらして効果倍増気分爽快なんていいですよ。

 バケツがない一人暮らしの人も、¥105ショップで手に入ります。
 ついついシャワーで済ませちゃう人も、足湯を取り入れてみましょうよ。
 こんな体が楽になるんだ〜って実感出来ると思いますよ。
 だって気力が出ないのは、体がだるいからでしょ?
 暖めると良く眠れるようになるはずです。(不眠症が一回で治るとは思いませんが。)
 目覚めが違うと一日の過ごし方も変わる気がしませんか?
 ワクワクして一日を始めたいですもんね!

 生き辛いのは何も精神的なダメージだけでは無いと分かってきました。
 それが原因だとしても、体のダメージも取ってあげないと。
 心の復活をしようという所まで自分を持っていくには、体が基本でしょうから。
 そうそう、心と体のバランスが大切。
 暖めるのは、一番簡単でお安いエクササイズ。
 飽きっぽい私にも出来るお手軽ヒーリングの巻、でした。
          by Yumiko 15th Apr. 2004
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お話21<手放す>

 
 今朝から警察からの放送が続いている。
 この所、バイクでの引ったくりが近辺で続いている警告らしい。
 私も、まさか自分がそんな目に遭うとは思いもしなかったなあ。

 2年程前、仕事の帰り、娘を保育園から連れて買える途中の事だった。夕飯を何にしようか…疲れていたので自転車の前かごにカバンを入れたまま、肉屋さんの前で考えていた。
 揚げ物でも買って帰ろうかな…ああ、でも娘を降ろして買いに行くのさえ面倒。
 家にある物でいいか、とボーっとしながらゆっくり自転車を漕いでいた。
 つまり、引ったくり魔にとっては格好の餌食であった。

 ヒョロロロとバイクが横に付けた。
 何だ?と思うとニョっと手が出てきた。
 私はその時も、何が起こっているのか理解できなかった。
 まるでスローモーションのように覚えているけれど。
 その手は私のバッグを掴むと、あっという間に広い道路へ突っ走って行った。
 自転車で追いかけようもない。
 呆然としながら、訳が分からない。
 あのバックには色々な物が入っていた。
 自宅は物騒なので、色々持ち歩いていたのだ。
 そして現金はそれ程入っていないけれど、一番困ったのが携帯電話とポケットボードであった。
 通帳やカードは止められる。

 とにかく警察へ。
 娘が心配している。トラウマになるなよ、と少しだけ考える。
 それからまったくもって大変な手続きが待っていた。
 事件は7時前だったけれど、無事に家に着いたのは、何と翌日のAM2:00。
 その前に娘は実家に預けたので、私はずっと警察官と一緒だった。
 現場検証で写真も撮られた。前科犯になったわけではないのにぃ。
 あれって、調書を作るのが非常に時間かかるの。お腹も余りの出来事に全然空かない。
 怒りは?不思議と無い。ショックの方が強い。
 でも娘が無事で良かった。後から段々思えてきた。
 警察の話だと、引ったくりは一番卑劣な方法だけれど、怪我をさせると罪が重くなるから子連れは狙わないものなんだと言っていた。あれは、そんなに上級なやつじゃない、多分。
 盗む人に上級があるかどうか分からないけど。
 
 一番気になるのが、ポケボのアドレス達だった。メモしていないのがある。ああ…。

 どうして帰るのが遅くなったのかと言えば、鍵も無い事を忘れていて。警察に家まで送って貰っても入れない。
 運良くベランダの窓が空いていたので隣の人がツタって開けられるはずなんだけど、外国の方で、警察が怖かったらしく(なんでかな?)居留守を使って出てきてくれない。
 そして、不動屋さんを起こし、鍵を借りたが…何故か隣の鍵だった。
 私の部屋の鍵は少し離れた所に住んでいる大家さんが持っていると。
 そして深夜パトカーで大家さん宅へ伺い、鍵をやっと手に入れた。

 ああ、疲れた。警察だって大変な仕事なのよね。

 翌日、休まず仕事へ行って、社員証もなくしたことに気づく。
 でも、上司が(大変だったらお金を貸すよ)と言ってくれた。大丈夫だけれど、ありがたいお言葉。

 私はこの事で被害者意識を感じなかった。
 なぜでしょう?

 実は、3日ほど前から、欲しいものを書き出す願い事ノートを始めていた。
 厳密な物ではなく、とにかく目に見えるように欲しいものを書き出していただけ。
 その内容は、新しい携帯とかパソコンとか物質的なものも、幸せな小金もちパートナーとかライフワークとか。
 
 そして、結局、分かっていたのだわ。
 受け取る前に、私には手放す事が必要だったのだと。
 お願いの仕方も「直ぐにでも手に入れたい!」と実際に書いている。
 だから、天使たちは強行手段に出たのではないだろうか。きっと彼らにしてみれば悪気なんてない。
 一番早い方法なのだから。

 携帯は無いから買うしかない。
 そして可愛そうに思った職場の友人がPCを安く譲ってくれる話になった。
 現金以外は、すべて再発行可能なものであったし、カバンは気に入っていないものだった。
 アドレスが無くなった事も、必要な人とは決して縁が切れるものではない事が分かった。
 不要な人間関係は自然と離れていくものだし。

 そう、不思議と引ったくり犯に怒りは湧かなかった。いい子ぶっているのではなくて。
 怒りは押さえてはいけないことは充分に理解しているし、彼が背負ったカルマ(あるのならね)と言うよりも私の「手放す事」への協力に感謝をしてしまった方がいいかもしれないなって。
 すべての引ったくりを肯定しているのでは全くない。いけないことだもの。

 でもこれは自分で引き寄せた部分が強いのだと思う。
 友人も、「Yumikoちゃんの現実化の力を見せられたんだよ。」と言ってくれた。
 天使たち、これからはこういうやり方は嫌だよ、と説明する必要は感じたけれど。

 それから3ヵ月後にパートナーとも巡りあった。
 願いは叶えるものなのです。

 その当時の部屋には、晴明神社(京都)の厄避けお守りを飾ってあったけれど、事件当日不思議と高いところから落ちていた。お守りを半信半疑だった私だけれど、今はとても意味があると感じている。
           by Yumiko  9th Apr. 2004

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